どこからどこまでが真実かなんて、知りたくもない。












彼が猫のように笑った日。






「あ、鳴海じゃん、すっげえ」
「……、今何時だと思ってやがる」
「夜中の三時?」
「疑問形にすんな!まさにそうだ、三時だ、そこんとこわかってんのか、あ?」
「俺さ、いまなんだっけ、目ぇ瞑って適当にメモリから一つ選んで電話したんだけどさ」
「人の話聞けよ」
「そしたら鳴海が出てさー、すっげえ、鳴海ってこんな時間までいつも起きてんの?」
「ついさっきまで熟睡してたんだよ。いまの電話で起こされたのくらい察しろ、このバカが!」

 あ、そっか。

 藤代がようやっと理解したようにくぐもった笑いを漏らした。そのどこか淡々とした声に、鳴海は声を張り上げている自分が不意にバカらしく思え、なんの用だよ。と、髪をかきあげながら低く押しつぶしたような声を出す。苛ついていた。寝起きだからなのか、喉がひどく渇いてる。水が飲みたい、と思った。

「んー、用っていうかさー」
「……用もねえのに電話してきたなんて言ってみろよ」
 今すぐこの電話切って、明日お前の学校に殴り込みに行ってやる

 壁にかけてある時計がカチコチと規則正しい音を立てている。夜は五感全てが研ぎ澄まされるから嫌いだ。鳴海はすっかり眠気が吹っ飛んでしまった自分を持て余しながら、ベッドから降りる。カーテンをシャッと勢いよく引くと近所の猫が甘えるような声で鳴いているのが聞こえた。


「そもそも、お前いまどっからかけてきてんだ?確か寮だろ、武蔵森は」
「寮の中からに決まってるじゃん。ベッドに寝転がってる」
「あー、そうかよそうなのかよ。じゃあ、同室のやつと遊んでもらえ」
「タク、いないし。かえってんの。春休みだから」
「俺の知ったこっちゃねえ。俺は眠い」
「俺は眠くないんだって」
「だから、そんなの俺の知ったこっちゃねえ」

 鳴海の苛立った声に藤代が笑った。なんだ、鳴海元気じゃん。
 元気じゃん。
 その言葉に、鳴海は言葉を失う。
 なんだ、この藤代は。今日の藤代は。なにかがおかしい。
 部屋の中の時計はカチコチと規則正しく音をたてている。近所の猫が、甘えるような声でまた鳴いた。

「元気に決まってるっつーんだよ。俺を誰だと思ってやがる。」
 鳴海貴志さまだ。鳴海貴志さま。
「ふーん、一発退場したわりには、ほんと元気だなー」
「死ね」
 あれは俺の輝かしい未来(予定)に泥を塗った出来事だ
「でも退場したじゃん」
「死ね」

 藤代が腹を抱えて笑っているような声で笑った。実際電話の向こうでは腹をかかえて笑っているんだろう。そう思うのに、どうしてだか機械を通すとどこか違和感を感じる。笑い声は楽しそうだ。けれど違和感を感じる。なんだ、と、鳴海は思った。この違和感はなんだ。この藤代はなんだ。今の自分の状況はなんだ。
 なんだ。なんだ。なんだ。
 疑問という冷や汗だけが身体を飛び散っていく。

「なあ」
「んー」
「なんで電話してきたんだよ」
「電車って今動いてんのかな」
「人の話聞け」
「夜中ってわくわくするじゃん」

 あっさり自分の質問をかわされ、それが故意なのか偶然なのかわからずに鳴海は苛立っていく。鳴海にとって藤代という存在はバカ正直な明るさを持っている男だった。それなのに、今日はなにかが違っている。混乱していた。そんなことを思う自分にも、藤代にも。混乱していた。鬱陶しそうにもう一度髪をかきあげる。なんだ。今日の藤代はなんだ。今日の俺はなんだ。
 疑問が苛立ちになっていく。

「なあなあ鳴海、電車って動いてんかな、いま」
「動いてるかよ、バーカ」
「あ、バカって言うなよ、一発退場」
「死ね!」

 楽しそうに笑った。藤代はその言葉に楽しそうに笑った。耳から笑い声だけが響く。部屋の中では、カチコチと時計が規則正しく動いていた。遠くで猫が鳴いている。携帯を持つ手が苛立つ。髪が鬱陶しい。鬱陶しい。すべてが鬱陶しい。寝たい。喉が渇いてる。

 すべてが鬱陶しい。


「お前、もう満足したな?しただろ。切る――」
「死ねってさあ、あんま好きくない言葉でさ」
「聞けよ、人の話」
「それでも俺、気付けば人に死ねって言ってんの」
「……そうかよ」

 藤代はやっぱり自分の言葉を無視して語りはじめる。その声は淡々としていて、鳴海は怒りをぶつけるタイミングを失った。なんなんだ。なんなんだ。今日の――藤代は。
 そればかりが頭をまわる。どうしてだか携帯を握っている手に冷や汗をかいていた。

「死ねってさ、言ったあと気持ち悪くなって好きくないのに、なんでかスカっとする。気持ちいいかんじ」
「まあ、悪口だったり条件反射だったりするからな。一種のストレス発散じゃねえの」
「でも、言われたほうは真剣に考えてんの」
「……」
「それでさ、いいよ。て。いいよ、て真剣に答えてきてさ」
 俺、なんでかその顔にゾクっとしちゃってさ
「…おい」
「なんていうんだろ。ヤりたくなった」
「そりゃ、好きな相手からだったら感動もするかもしんねえけど。あー、でもそうかあ?ほれた女でも、俺、死ねるなんて言われんの結構重くて無理だぜ」
「そんくらい、なんかきた。」
「……おい」


 それ、誰の話だ?

 鳴海の質問に、藤代はかすかに声を漏らして笑った。誰でもいいじゃん。俺でもいいし。
 その言葉はひどく楽しそうで、鳴海は心臓がいつもよりも早く動いてるのを感じた。何かが違う。なんだ。なんなんだ、今日の――自分たちは。

「おい、お前まさか」
「死ねってさ、言った相手がほんとに死んじゃったら、後味悪い感じだよな」
「当たり前だろ!」
「言ったほうも言われたほうも、死んじゃったら、それはなんかそれでりそ――」
「んな訳ねえっ」
「タクがさ、いないんだ」

 俺が死ねって言ったからかな。



 ガサガサガサ、と、猫が走り去っていく音がした。甘えた声はもう聞こえない。時計の針が規則正しくカチコチと音を立てていた。少しの狂いも感じられない。手に汗を握っていた。身体中の血が沸騰しているようだ。藤代の声が聞こえない。電車って、動いてんのかな。さっきの質問だけが頭をまわっている。なんだ。なんなんだ、今日の藤代は。なんで自分が選ばれた。なんで。なんで。なんで。
 身体中の血が沸騰してるようだ。汗だけが伝っていく。言葉が出てこない。喉が渇いた。 

「藤代……、お前、」

 鳴海は声が震えるのを感じた。どうして自分を選んだんだ。そのタクって男は里帰りしてるんじゃなかったのか。いつものお前はどこへ行った。どれが嘘なのか真実なのかわからない。ただわかるのは、藤代は自分を選んだということ。
 不意に、ゴトっとどこか大きな衝撃音が聞こえた。電話を切られたのか。鳴海は焦って、藤代、と、叫んだ。

「っぷ、………くくははっははははは」
「………あ?」
「あ、はっは、ははっははっははははっ」
「藤代、なに笑って…」
「な。鳴海、本気で信じてんだもん。俺、俺ってもしかして演技派なんじゃん?――タク、すっげえ、大成功しちゃった」

 マジかよ。
 藤代とはまた違う声が、電話先から聞こえた。鳴海は、マヌケな顔をしている自分を感じた。身体が動かない。なんだこれは。電話先にいるのはいつもの藤代だ。いつもの。鳴海が知っている藤代と何ら変わりない。――いったい、なにが起こったんだ。今日はなんなんだ。

「鳴海、すっげえ、やっぱすげえ」
「……どういうことか説明しろ、説明だ。今すぐにだ!」
「えー、だって今日って4月1日じゃん」
「それがなんだ」
「エイプリル・フール」
「…………」

 マジで気付いてなかったんだ、と、藤代が楽しそうに笑っている声が聞こえた。マジでー、鳴海かわいーとこあるじゃん。
 藤代の声にようやっと沸々と怒りがわいてきた。エイプリル・フール。そうだ、エイプリル・フールだ。確かに今日はそうだ。鳴海は頭に血がのぼっていく自分を感じた。電話の向こうで藤代達の声がする。俺めっちゃ笑いたえるの頑張ってた甲斐あったー。誠二、お前手ぇどかせよ。その手も早く拭け。―― えー、いいじゃん。
 藤代と、明らかに同室の男だと思われる声。ようやっと事情が飲み込めてきた鳴海は低く怒りを抑えるような声で呟く。

「なにが里帰りだ。いるじゃねえか」
「だって嘘だし」
「……………」

 死 ね !

 力いっぱいの声でそう呟き、携帯の電源ごと一緒に切った。藤代は最後まで笑っていた。全部が嘘じゃないって。そんな声が聞こえた。



 鳴海は、アホらしい。アイツはやっぱりアホだ。バカだ。そう思いながら勢いよくカーテンを引いた。部屋に漆黒の闇が戻ってくる。時計がカチコチと規則正しい音を立てていた。喉が渇いていた。手に汗を握っていた。イラつきながら布団に入る。頭に血がのぼっていた。
 この気持ちの悪さをどうにかしたい、気分が悪い。そう思いながらギュっと目を瞑り、――ふと、さっきの藤代の言葉はどこまでが真実だったんだろうと考え、再度アホらしいっ、と、吐き捨てた。もう寝るぞ。誰に宣言するわけでもなく(むしろ自分に向かって)そう呟き、目を瞑った。喉が乾いていた。水が飲みたいと思った。時計がカチコチと規則正しく動いていた。いつもと何もかわらない音だった。手には汗を握っていた。手がぬめぬめして気持ちが悪かった。藤代の嘘を知って、腹が立った。死ね、と思った。自分の睡眠時間を返せと思った。苛立った。

 でも、どこか安心していた。











 時刻は午前三時三十九分。
 エイプリル・フールだろうがなんだろうが、
 どこからどこまでが真実かなんて、知りたくもない。


 吐き捨てるようにそう思いながら、鳴海は眠った。